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VOICE 2018/07 |
有給休暇でデフレ脱却を 消費増税で景気を下げるより確実な財政再建策 VOICE 2018年7月号 |
読売新聞 1999/4/28 |
『可処分時間』増やし消費拡大 読売新聞 1999年4月28日朝刊 [論点] |
日経新聞 1999/2/15 |
拝啓 小渕恵三内閣総理大臣閣下! 『可処分時間』を増やしてください。 長期連続休暇の「通年交代取得」が景気を回復します! 日経新聞 1999年2月15日夕刊 意見広告 掲載 |
VOICE 1998/10 |
景気回復の究極の一手 ~減税とセットにした2週間の「可処分時間」の提供を~ [VOICE]98年度10月号 |
InterBrainYou 1998/11 |
景気回復と豊かさ Inter Brain You 1998年11・12月号 VIPインタビュー掲載 |
月刊MOKU 1998/4 |
大変革の時代こそ「商人道」を見直せ! 月刊MOKU 1998年4月号掲載 |
VOICE 2018年7月号
完全消化で経済効果12兆円
激変する世界情勢の中で今後、日本がどんな運命に直面するのかはわからない。だが、どんな厳しい
試練にも耐え抜き、将来を明るく展望できる国家になるためには、「史上最悪」と言えるこのデフレ
体質を一刻も早く克服し、強い経済を再建するしかない。
現在の暮らしの諸問題は、デフレが真の原因である。最大の被害者である、若い世代の生活向上に資
することを目的として、この試論を提案させて頂きたく。
デフレ経済から脱却するためには、需要を、それも個人消費を増やさねばならない。
それには「ぜひ、欲しいという商品」の拡大が必要だ。その商品は、個人的な好みに左右されるもの
ではなく、国民が構造的に消費に参加出来る“物”や”事=サービス”である必要がある。それが実
現してこそ、頓挫しかかっているように見える「アベノミクス」は成功し、初めて「一億人の総てが
活躍できる」社会になると思う。
その商品、しかも皆の胸をわくわくさせる様な商品とは、いったい何だろう?それこそが「三本目の
矢になるはずだ」
それは、好みに応じたレジャー商品を手に入れることだと思う。自分の内面的な世界を広げるための
稽古や習い事、何かを系統的にもっと学びたいと考えている人は、たくさんいるだろう。何をするに
しても、必要なのは自由に使える時間である。それは、国内や海外への旅行をして見分を広げるだけ
でなく、広い意味で、自由な“旅”をすることだと思う。
最近の、海外から日本を訪れる旅行客の急増を見ても、それが世界経済の重要な成長要因になってい
ることを実感するし、デフレで傷ついた日本の地方経済が真剣に求めているのも、消費を活発にして
くれる訪問客を増やすことである。
14年も前の2002年6月7日、経済産業省と国土交通省は共同で、全国の会社員・公務員が“規定”の
有給休暇を完全に消化すれば、レジャー支出の増加などで約12兆円の経済波及効果があり、雇用創出
効果は150万人に達するとの試算を発表した。
「休暇制度のあり方と経済社会への影響に関する調査研究委員会」が報告したもので、テレビや新聞
など各マスコミも一斉に報じた。当時も日本人の有給休暇の取得率が、40%にも満たない状況が続い
ていたからである。
12兆円とは、日本全体で300兆円の個人消費額を4パーセント増やす計算になる。15兆円と考えられ
ていたデフレ・ギャップの80%が、この政策で解決できるはずだった。それに関連して起こる設備投
資分の波及効果はこの調査には、全く含まれておらず、合計の総額は当然もっと大幅に増え、15兆円
を超える巨額になったはずだと考えられる。
だから、この報告案が実行されていたならば、デフレは10年以上前に解決できる可能性が十分にあっ
た。しかもこの「報告提案」の特長は、政策として実行するのに際して、第一に、政府の財政負担が
全く要らないことと、第二に、実現のための新しい法律をつくる必要が無かった点にある。これこそ
が、具体的な有効性の観点から最も重要だ。
有給休暇の法律は、すでに60年以上も前に「労働基準法」として成立している。つまり、存在する法
を実質的に無視しているという当時の“違法状態”を正常な“適法状態”に戻すだけで可能だったの
である。いまにして思っても、単なる理想のプランでなく、「実行に必要な条件」の満たされた実現
可能性の非常に高い案だった、と思えてならない。
ところが、せっかくのこの報告は、政策に反映される兆しがまったくなく。緊急デフレ政策には取り
上げられてこなかった。“違法状態”が維持されてきたのである。
筆者も、その検討の会議のいくつかに参加したが、その機運はまったく見えてこなかった。
欧米の連続休暇制度は、第一次大戦の後、発生した大デフレ期に、不況に打ちのめされた国民を勇気
づけようとしたフランスのバカンス制度に始まる。米国ではニューディル政策、独・露では全体主義
的な計画経済が採用されていたころのことだ。第二次大戦のあと、西欧経済は大復興した。しかし、
1960年代後半に再度商品の過剰生産の恐れが見えて来た折、その長期的展望の経済対策として、IL
O(国際労働機関)が年の有給休暇の最低2週間分を”連続休暇“として与え、需要を増やすよう加
盟国に勧告した。日本も加盟国だったが、ILOの再三の要請にもかかわらず、日本は批准しなかっ
た。現実に、世界の先進国では2-3週間の連続休暇を取ることは当然となっている。サミット参加
諸国をはじめ、北欧諸国や、豪州やニュージーランドも、平和的な経済成長政策の柱として取り入れ
ている。
連続休暇の増大が消費を増やせるので、数年ごとにやって来る経済の不況期を、解雇や「レイオフ(
一時解雇)」をせずに消費を刺激し、拡大させる方法として連続休暇をさらに2、3日増やし、その
合計が年に4~6週間に達した国が多い。緊急事態で本当に労働が必要な場合は、休暇を逆に減らす
ことも可能だ。
日本は「先進国」の唯一の「例外国」であり、その分野ではいまだ「世界の未開発国=中進国」なの
である。
労働条件を適法状態に戻す
では、法治国家であるべき日本で、なぜ、そんな悲惨な状況にならざるをえなかったのか?それを律
してきた日本独特の「空気」を探り、このやむをえなかった状況を改革して、早くデフレを解決した
いと思う。そうすれば、若い世代がもっと多くの正規職を得られ、安心して家庭を設け、“人口問題
”も、“財政問題”も自然に解決するはずである。
いま安倍首相のリーダーシップで、デフレの克服策として、「三本の矢」をはじめとしていろいろな
手が打たれている。最近のマイナス金利や、政府が直接企業の経営者に賃金アップを要請するという
、過去になかった、びっくりするような事態が進行している。
新聞報道を見るかぎり、「政府主導」の賃金の上昇も、実行されるように見える。しかし、経営者の
立場から見れば、それが不況対策だからといわれても、とにかく先に人件費の支出増から行わなけれ
ばならないというのは当然、不安なはずだ。いろいろなデフレ対策がちっとも効果を上げなかったの
で、そんな「空気が」社会的に形成されているのだと思う。
労働条件とは、あくまでも労使間の合意で形成されなければならない。それが、自由な経済の原則で
あるべきだ。政府の役割とは、その論争や合意が法に基づく民主的なものになるように、一方的にな
らないような環境を整備するべきものだ。
企業に賃金アップを政府や行政が要請するのは本末転倒で、おかしいと思う。労働基準法を順守して
適法状態に戻し維持することこそ、政府と行政の役割であるはずだ。なぜ、世界の流れにも逆行する
この超法規的状態が続いてきたのか?
筆者が調べたところでは、高度経済成長の始まる1960年代の中ごろ、人手不足もあり有給休暇ど
ころか、超過勤務手当すら支払われていない状況が、全国的に発生していた。戦後の、代表的な高度
成長企業である家電のS社の労組が、それを行政だけではなく、司法にも訴え出たそうだ。
そのとき、当時の労働省の政令の介入により、超過勤務の不払いは是正するような処置が取られたが
、有給休暇の未達成問題は、不問にする、ということになったらしい。司法の場での審査もなかった
ようだ。
「政令」とは、一内閣の閣議を経れば決定できる。国会の複雑な審議手続きを経て初めて可能になる
「法律」とはレベルがちがう。下位に位置づけられる“政令が法律を乗り越えてしまう”という滅茶
苦茶なことがその後、五十年以上の長きに渡って放置され、現在に至るも是正されなかったのは、政
財界をはじめ日本の社会全体に「休むことはイコール働かないことであり、イコール不道徳だ」とい
う空気・ムードがあったからこそだと思う。
当時、労働時間を減らそうという動きに対して、「時短亡国論」が広く唱えられ、マスコミの多くが
それを受け入れ、魔訶不思議な「日本的な空気」が形成されていたからだ。
増税以外の発想を
いままで述べてきた事から、安倍内閣が「適法状態に戻す」と閣議で決めさえすれば、直ちにこの“
不適法”な状況は打開され、個人消費が最初の12か月で12兆円増え、雇用も大幅に改善される。そ
の結果、現行の8%の消費税のままでも、9600億円以上の増収が確実に見込める。
来年度から予定されている、消費税増税は、それが、景気を押し下げる要因になれば、税率が上がっ
ても、肝心な「財政再建に必要な」税収入を減らしてしまうのではないかと心配されている。
前回の3%の消費増税も、それが、久しぶりに拡大基調なっていた景気の腰を折り、しばらくのあい
だ、不況に陥ったではないか?
現在、その当時と比べて円の価格の不安定さや株安で、状況は悪化していると思う。いまこそ消費増
税以外の、発想を変えた財政再建策を考えるべきときである。
しかし、そのためには、新しい「空気」をつくる必要がある。日本には、違法を適法に戻すという、
当たり前なことでさえも、その空気なしに実行すると「独裁的だ」という変な批判がなされる体質が
あるからだ。
肝心の、経済学者や評論家のなかにもその傾向が強い。
だから、「報告書の案」が、なぜ本当に有効かを過半の国民が理解して賛成できる、強力な「説明」
をする必要がある。なぜ、自分が休むことが他の人に働く機会を提供し、それが跳ね返って自分も良
くなるのか、それを通じて日本の経済も良くなるのか?真の問題は「休むことは不道徳であるのか」
を再検討することにあると思う。
消費ができるから生産できる
以下、これからその「論理展開」にチャレンジして行こう。
ご存じのとおり現在、有給休暇の必要性の機運が盛り上がり、味の素などの労使間で、労働時間の短
縮が「ベースアップ」に優先して導入されようとしている。
いまこそ、“可処分時間”の考え方を実際の政策に取り入れてもらうための具体的な施策およびその
効果についての詳論を、説得力のあるスタイルで見出さなければならない。
「生産があるから貯蓄ができ、消費もできると」いういままでの常識の循環を逆回転させ、「消費が
できるからこそ生産ができる」と考える。そのバランスの上に立つ貯蓄こそ、将来の日本経済を安定
的に拡大、発展させることができるという「発想の転換」こそ、必要ではないか、と思う。
「消費」こそが、生活を充実させる経済の目的であり、「生産」と「貯蓄」は、その手段にしかすぎ
ない。消費を充実したものにするために、その方法を学ぶことや、そのための新しい技術や産業を創
設することこそ、高度成長の時代に真に求められていたものだと思う。先祖や先達の大変な努力の結
果、平和な時代を謳歌して70歳の古希を迎える事が出来た筆者も、“贅沢出来ること”は、決して「
敵」でなく「素敵」なのだと感じている。
日本のいままでの労働時間短縮の努力は、「国民の祝日」を増やし、それが日曜と重なったら、強制
的に月曜日に替えることによって、皆を一斉に休ませようとしてきた。そんな祝日の増加は、その日
を「なぜ祝うのか」という本質を希薄化し、多くの中小企業にとっても、生産性を下げるという結果
になっていると聞く。しかも結果、不便な社会になるばかりだった。
金曜日の営業時間に間に合わなかったことで、火曜日まで三日も待たねばならない事例が増え、その
不便さを体験した人も多いと思う。筆者は、すべての産業は、営業時間や日数を増やし、できればコ
ンビニの様に一年中いつでも利用できるようにした方が便利だと思う。
そして、産業の稼働時間を増やすことによって、資本回転率を良くすべきだと思う。
完全週5日制が進み、国民の休日も増え企業や事業所が仕事をしない日がずいぶんと多くなった。1
年は52週間余。土、日計で104日。国民の祝日が、16日、何と二週間以上もあり、合計120日となる。
加えて夏のお盆の3日ほどと元日以外の年末年始、それに加えて数日休むのは国民的習慣だから、日
本の公務員や大企業のほとんどが、1年365日の約70%以下しか稼働していない事になる。そのために
投資した設備も年の30%以上稼働していないことになる。これでは効率が悪すぎ、生産性が上がらな
い。
効率を上げれば、雇用を増やす原資も増やせる。雇用を増やせば、失業も減り、消費が増え、景気
も良くなる。
増税せずに税収も増え、さらに労働時間を減らすこともできるという「好循環」が可能となる。いよ
いよ、デフレから脱却する条件も整うといえる。それを可能にするためには、国民全体が「休暇を交
代で、しかもまとめて取る」しかなくなる。そのほうが生産のためには効率的だからだ。
生産のために都合がいいことと、消費のために都合がいいことが、バランスよく両立しなければ、持
続的な経済成長は成り立たない。
時間資源の配分を変えよう
いままでの経済学の考えでは、消費を増やすには「可処分所得」を増やさねばならない、
という考えが「主流」というより、唯一の考えだったといっても良い。可処分所得とは、個人の家計
収入から税金や社会保険料など支払いを義務付けられている金額を差し引いて、
自由に消費の為に使える金額の事だ。
前述したとおり、高度成長期の収入の増加が、可処分所得を増やし、3Cと呼ばれたカー(車)、ク
ーラー(エアコン)、カラーテレビ等の国内での普及が飽和するまでは好循環を続けることができた
が、国外の市場を韓国や中国に奪われ、必要な成長を、同じ商品群のなかでその質と価格の「改善」
を中心に直線的に考えてしまったことが、高度成長を代表する家電産業のいくつかのメーカの失敗に
繋がっていると思える。
可処分時間とは、可処分所得に裏付けられた自由な時間のことであり、たんなる仕事をしていない自
由時間ではない。可処分時間を増やすというのは、サービス社会の経済を拡大させる未来の必須で巨
大な経済資源なのである。営業時間や生産のための時間を減らすことではない。むしろ工場をつねに
動かしながら、働いている人の労働時間を一定にし、休みはそれぞれの勤労者がしっかりと取れるよ
うに、365日の経済的時間資源の配分を変えようということだ。
「連続休暇を交代で取る」という発想さえ保証されれば、労使が知恵を発揮し、そこから発生する諸
問題(子供の教育など)を解決できるはずだ。交通機関やホテル、デパート、コンビニやその他の販
売サービス業は、すでに全日営業をしている。労基法が適法状態に戻れば、その人達の抱える長時間
労働の諸問題も解決しやすくなると思う。
連続休暇の”取得手当の支給”
可処分時間は連続でなければならない。その効用の特長は、24時間+24時間=48時間ではないから
だ。1日プラス1日の休暇の長さは2日で直線的に倍となるが、可処分時間の「効用」は指数曲線的に
上がっていく。 たとえば、日帰りでは半径100-200kmしか移動できないのだが、1週間あれば国内
のどこにでも旅行することができ、二週間まとまると世界中どこでも行けるようになる。
連続休暇=可処分時間の乗数効果はそのくらい大きい。
誰も人生に一度は世界中に旅行に行きたいのではないか? それが、実現できる条件をつくりたい
ものだ。旅行だけでなく、いろいろな文化や芸術をもっと豊かに人生に生かしたい。
物の豊かさよりも、心の豊かさを人生で実現したい。そういう欲望こそが、まったく新しい「サービ
ス経済」発展の要であり、われわれが皆、幸せになる経済を創造する展望を開く道である。
しかし、いまはまだそんなことはできないとみんなが思い、諦めているようだ。政府がリーダーシ
ップを発揮して、適法状態に復帰すると宣言しさえすれば、数カ月でその諦めは期待へと変わりうる
。
全国的な実効性を上げる手段として、参考になるのは、ドイツでは、連続休暇の”取得手当の支給”
を施行しているそうだ。そこまでできれば、休みが与えられても必要な金がないという状況下に置か
れている人も旅行でき、8%の消費税や、所得税、法人税としてすぐに税増収で返ってくる。旅行が
増えれば、道路網の整備の必要があり、自動車の増売と交通機関の利用者も増える。裾野産業も広い
ので、各業界にとってもすぐ増収増益となる。「人」への財政投資が、箱モノ等の「コンクリート産
業」へも自然に繋がり、地方経済とその財政もよくできるのだ。
お金を貯めてあるが時間がないので使えなかった人から、より高額商品を買い始める。動かない「お
金」を流動化させ、多くの人に還流する条件をつくるだろう。所得と収入の全国隅々への波及は無理
なく、しかも必ず起こると思える。デフレを脱却することとは、そういうことではないだろうか?
いま中国人の”暴買い”が話題になっているが、これもいつ急減するかわからない。中国経済の、崩
落に巻き込まれないためにも日本人の可処分時間の創出が急務だと思う。
読売新聞 1999年4月28日朝刊 [論点]
未来学者がポスト・インダストリアルソサエティ、つまり工業社会の次の社会が出現すると説いていたころから、30年以上経った。当時の未来は今や現実である。大変化の時代がやって来ると説く声は多いが、過去に起った変化が巨大なものであり、経済の体質が既に大きく変わっているという認識は十分なのだろうか?その変化を認めなかったからこそ、どの先進国も経験したことの無い、この「異質な大不況」が発生したのだと思う。
面白い例を挙げよう。近頃、スーパーやコンビニで売られる水の価格は、ガソリンの値段より高い。昔、砂漠の産油国ではそうだと聞き驚いたが、今は石油消費国・日本の日常になっている。真に驚くべきは、誰もその事に驚いているようには見えないことにある。
日本経済は第三次産業従事者が全体の60%に達し、経済のサービス化が目覚しい勢いで進んだ。既に工業経済社会の次の段階「サービス経済社会」に変わっている。にもかかわらず、政府の景気回復政策はその事実を注視せず、過去の成功例を繰り返しているだけではないか?
過去の成功とは工業経済社会での経験に他ならない。振り返れば20世紀は工業の世紀だった。前半は重化学工業化と電化が進展し、日本の成功は20世紀後半の規格大量生産工業社会でのことである。
高度経済成長の時代は、賃金を上げ「可処分所得」さえ増えれば消費が拡大した。販売の増加は効率的な規格大量生産でコスト低下と利益増大に繋がり、再投資された新設備からの製品は、砂地に水が染み込むように消費され、その好循環が長期間大規模に継続したのだ。強力な生産力と旺盛な消費力はバランスがとれていた。
人類史に未曾有の日本の高度経済成長は、その環境を創り出せたからこそ可能であったと思う。しかし、時代は大きく変わった。工業経済社会と、サービス経済社会では消費スタイルが違う。賃金を上げ、可処分所得を増やせば有効需要が増え、経済が成長するという従来の成功パターンの適用が出来ない。何故ならサービスの多くは生産と消費がリアルタイムに発生し、消費拡大には可処分所得だけでなく、消費の為の自由時間、つまり「可処分時間」が絶対に必要だからだ。
具体例を挙げよう。お金が有れば自動車は買える。運転する暇が無くて車庫に停めておくだけでも減価償却は進む。工業経済社会では、これでも良かった。自動車は消費された事になった。しかし、サービスは、お金だけでは消費出来ない。例えば男性の理容や女性の美容など、椅子に座ってサービスを受ける時間を用意しないと消費は不可能である。
サービス経済社会に変わるということは、金と時間の両方が無いと消費出来ないサービスの新製品がどんどん増えて高度化していく事だ。時間が購買力・消費力となる時代なのである。ものは無いが時間は十分に有った時代に高度経済成長は始まり、今は、ものは有りすぎるが時間が無い。
サービス経済、つまり第三次産業の成長が第一次、第二次産業にも波及し、新しい経済成長へと繋げられる時が来たのに、その為の環境創りは余りに不十分だと思う。21世紀に向けた新しい社会構造とライフスタイルを作り出せなければ、この大不況は堂々巡りを繰り返しながら閉塞状況となり、やがて日本経済は窒息するのではと心配だ。
現在の農林水産業鉱業は、工業技術の存在無しには今の大発展を遂げられなかった。これは常識である。しかし、一次から二次産業への移行期は、時代の変化を認めたくない社会勢力の大反発をまねいた。工業・製造業の発展も決して容易な道でなかったのである。
70年前の異質な大恐慌を経験した米国の場合も、それまでの農業大国が急に世界の工業経済社会の先頭ランナーとなり、移行期特有の矛盾を第一次産業時代の常識、つまり、過去の成功体験で解決しようとして大失敗したのだといえる。解決には新しい工業経済社会を徹底させる事のみが有効だった。それが結局のところ第二次大戦だったのは、皮肉で悲しい歴史である。
デフレ大不況だからと「過剰生産」の解決が叫ばれるが、筆者は「需要不足」こそ解決すべき問題と考える。可処分所得増加で消費拡大という成功体験を捨て、「可処分時間増加による国民生活の質向上」の経済政策に切り替えるべきだ。
国民の持つ「消費力のエネルギー」をサービス経済に向けて解放する事こそ、20世紀後半の先頭ランナーとなったが故に苦闘している日本の、この異質な大不況克服の「発想を変えた解決策」に成りうる。
日経新聞 1999年2月15日夕刊 意見広告 掲載
高度経済成長時代には、「可処分所得」を増やせば消費と生産が拡大、経済は繁栄しました。しかし、第三次産業従事者が国民全体の約60%に達し、工業社会の次の「サービス経済社会」に突入した今日、可処分所得の増大だけでは、消費を十分に伸ばせません。「サービス」の多くは、生産と消費がリアルタイムです。サービスの消費には「消費のための自由時間、つまり『可処分時間』が絶対に必要です。デフレ経済は投資が過剰で、消費が不十分な事を意味します。深刻なデフレ不況を国民消費の拡大で乗り越えるために、今までの発想を変え、『可処分時間』を増やし、国民の購買力・「消費する力」を開放してください。「生活の質向上」の新しいライフスタイルを創る経済政策を採って欲しいのです。
【工業経済社会の消費】【サービス経済社会の消費】
サービス経済社会の最大の特徴は、お金があるだけでは消費が発生しにくいことにあります。工業経済社会は可処分所得さえあれば消費が伸びました。例えば、お金を用意すれば自動車を買うことができ、仮にほとんど運転することができなくても償却・消費は進みます。しかし、男性の理容や女性の美容サービスなど古来からあり、今でも皆が頻繁に利用しているサービスは可処分所得というお金だけでは消費できません。椅子に座ってサービスを受ける時間を用意しないと消費が不可能です。サービス経済社会に変わっていくことは、消費するために時間を必要とする産業がますます増えることを意味します。生産と消費のバランスの良い発展のためには可処分所得と同時に『可処分時間』が必要です。
まず、2週間の連続休暇を交代でとることから始めましょう。
■ 宮沢喜一 大蔵大臣への提案
「時は金なり」という古来の知恵を発展させ、『可処分時間』を制度的な“新しいお金”にしてください。「有給休暇を捨てることは、お金を捨てることに等しい」と皆が思える制度づくりをお願いします。そうすれば、『可処分時間』という新しい経済資源を使って、財政を圧迫しない景気回復策が積極的に行えます。
■ 堺屋太一 経企庁長官への提案
『可処分時間』が新しい購買力・消費の力となると、それを目指して生まれるマーケットは無数に有ります。事業とは、新しい市場の創造です。若い起業家が、アイデアと知恵、それに起業家自身が持つ『可処分時間』を資本に変えて、活躍できる新しい産業が醸成されます。『知価革命』の知価社会が実現します。
■ 労働組合のリーダーへの提案
「可処分所得」を増やすために「春闘」という効果的な方法を編み出し、偉大な功績をあげられました。これからは、『可処分時間』を増やすことで実質賃金を上げ、ワークシェアリングで雇用を確保し、安心して消費生活を行える環境づくりをお願いします。このデフレ不況脱出の鍵は労働組合が握っています。
■ 都道府県知事の皆様への提案
多額の費用をかけて公共投資した橋や建造物を活性化させましょう。そのためには、人がそこに行ける時間が必要です。その時間を確保し、人の流れを創ることが景気回復の第一歩です。素晴らしい自然や郷土の自慢料理など、自治体のもつ資産を活用するための施策として『可処分時間』を増やしてください。
■ 企業経営者の皆様への提案
社員に、連続で最低2週間以上の長期休暇を与えてください。その休暇は、一時期に集中しない交代制です。これは経営者側の判断で、すぐにでも実施できることではないでしょうか。『可処分時間』を与えることは、社員一人ひとりに購買力がつくことです。新しい市場が生まれ、多くの産業分野を刺激します。
■サラリーマンの皆様への提案
これからは、有給休暇を捨てないでください。連続して2週間の長期休暇を取得しましょう。そして、新しい時代の消費者に身を置いて、何が不便で何が必要かを実体験してみましょう。きっと、新しいビジネスソースが見えてくるはずです。それを今の会社に活かしたり、自ら起業することも可能になってきます。
[VOICE]98年度10月号
財政再建の増税と景気刺激の減税の二律背反ディレンマで、どうにも成らない日本の景気。Inter Brain You 1998年11・12月号 VIPインタビュー掲載
旅行者の”代理店”旅行者のための“代理店”というコンセプトで、航空業界と戦いながら低価格の旅行を提供してきた(株)エアーリンクは、今では約10万人の固定客を抱えている。そのコンセプトにこそ、景気回復の“鍵”が隠されているのではないだろうか。瀧本泰行会長にビジネス発想法から景気回復の処方まで伺った。
―― 最近、やっと、本気で消費者中心にモノごとを考える企業が増えてきましたが、御社では20年前から、“放行者”の代理店という独自の発想で会社を設立されたと伺っていますが。
[瀧本] 当時は、旅行代理店のほとんどが、バスとか、航空会社といった交通機関の“代理店”としてスタートしていたからです。そこで、長い間、日本では、航空運賃が、国際水準よりもはるかに高いという状態が続いたのです。たとえば、チケット代金は、日本-アメリカの往復よりも、アメリカ-日本の往復の方がはるかに安く、さらに、アメリカ-東京よりも、アメリカ-東京-香港の方が安いとかね。
ですから、日本にやってくるアメリカ人は、みな、香港までチケットを買っていました。ところが香港では、日本人は航空チケットを売ってもらえない。日本人は、高い価格でチケットを購入せざるを得なかったのです。
もし、新幹線で、東京-名古屋間よりも、東京-大阪間の切符の方が安くて、名古屋の人だけ、それを買えないとなったらどうでしょう?
国際線の飛行機では、まさにそんな状態だったのです。
―― 既存の“代理店”は、交通機関の利益の代弁者だったわけですね。
[瀧本] そこで、消費者の側にたつ“代理店”が必要だと考えたのです。航空運賃に公正な競争原理をもちこむことが、当社の設立の目的でした。今では、正規料金が、季節等いろいろな条件がつきますが、たとえば、ヨーロッパ往復の最低価格は、5万5千円ぐらいになりました。
―― やっと、航空業界でも市場経済が導入されたわけですね。
[瀧本] エコノミークラスに関してはね。しかし、ビジネスクラスでは、未だに70万円という値段が残っている。普通の交通機関なら、一等席と普通席の差はせいぜい五割。
国際線の飛行機は十数倍も差があるのは明らかにおかしい。ビジネスクラスの価格を15万円ぐらいにもっていくことを、今後の目標にしています。
―― 航空業界は極端にしても、同様のことは、あらゆる分野で起こっていそうですね。
[瀧本] かつて、日本で生産されたカメラとか家電製品が、日本よりもニューヨークで買った方が安いなんてこともありました。僕は、アメリカと一緒になって、日本を悪くいうのは、好きじゃないんですが、その辺りはアンフェアだといわれても仕方がない。
―― そのようなアンフェアな部分の積み重ねが、今回の不況を招いた...。
[瀧本] でも、景気が悪いと、本物しか残れなくなります。そういう意味では、今回の不景気は、悪いことばかりではないと考えています。
―― ところで、御社では、顧客を有料の会員制にしてらっしゃいますが。
[瀧本] ええ。お客様に対して、勝手に「あなたの代理店」といってもしょうがないですから、設立当初から会員制にしていました。
―― 会費はおいくらですか?
[瀧本] 2000円です。当社では、お客様とのコミュニケーションを図るために、年に6冊のカタログを配送しているので、その実費にあてています。
―― 現在、どのくらいの会員の方が?
[瀧本] 継続中の会員の方が10万人弱です。比較的、年齢層は上で、20代から60代までいます。特徴は、24、5歳~35歳までは、女性会員の方が多く、それ以上では、男性会員が多くなります。
―― 格安旅行会社といえば、若者中心だと考えがちですが、御社は、全く違うのですね。
[瀧本] わざわざ会費を払って旅行しようとする人達ですから、いろいろな代理店を比較できる程、旅慣れてる方が多い。旅行に求めてるものは、人それぞれ違います。そのニーズをくみ取り、最適の旅行を提案できる担当者と出会えれば、旅慣れたお客様は、ずっと使い続けて下さいます。会員制にすることで、そのようなお客様を集めることができ、その結果、当杜のリピーター率は約七割に達しています。
―― 多少の価格差にはこだわりませんか?
[瀧本] いえ。会費を払っているのですから、価格に対しては、シビアですよ。でも、当社では、薄く広く、いわばピザみたいな利益が一番良いと考えています。
―― 儲けすぎてはいけないわけですね。
[瀧本] ですから、ワールドカップの時も、当社は手を出しませんでした。
当初から、5000円のチケットが3万、4万もした。5倍も8倍も吹っ掛けるようなビジネスはうち向きではないと考えたからです。結果として損害も被らずに済みました。
―― 最近は、会員さんを対象に、通信販売を始められたそうですが。
[瀧本] 取り扱っているのは、主に、輸入食料品です。
―― 通信販売で多角化を目指しているのですか?
[瀧本] というよりも、コンビニエンスストアの増加に対する危機感からです。
―― といいますと?
[瀧本] コンビニエンスストアは、いつでも開いていて、時間的には非常に便利なのですが、商品内容を見ると、在庫リスクを避けるために売れ筋商品ばかりです。その結果、どこも同じようなメーカーの同じような商品ばかりになっています。いわば、美味しいとこどりですよね。それが、多様な商品を揃えている既存の、商店の経営を圧迫し、いつのまにかコンビニエンスストアだらけになってしまう。一方で、世の中には、沢山の商品があり、お客さんは、変化にとんだ多様なものを欲しがっている。だから、小口でも提供できる通信販売を始めようと考えたのです。
―― 商品はどのように決めているのですか?
[瀧本] お客さんに直接聞いたり、また、会報誌でアンケートを取ったりしています。
―― どんなものが売れているのですか?
[瀧本] まだ、始めたばかりなのですが、韓国のノリと宮廷料理のキムチです。キムチは1キロで3000円もするのですが、よく売れています。このような商品は、普通のお店に置いても採算があわない。そうした商品を通販で手掛けていきたいのです。
―― 次々に新しい試みを重ねているようですが、新しい方針に向かって社員をまとめていくためのリーダーの条件は?
[瀧本] 基本的に根クラじゃだめですね。楽観的でなくては。ところが、リーダーは、細かいこともやらなくてはならない。ここが難しいところです。
―― といいますと?
[瀧本] 楽観的な人は、アバウトな人が多いからです。破産する人って大概、楽観的でアバウトな人でしょう。
―― なるほど。
[瀧本] ですから、矛盾する二つの行動に対して、個人の中で、バランスを取らなくてはならない。
―― 確かに難しいですね。
[瀧本] それが無理な人は、弱いところを補ってくれるパートナーを探すことが重要です。
―― 瀧本会長の場合は、それが社長を勤めてらっしゃる奥様なのですね。他には、どんな点が重要ですか?
[瀧本] 本を読むことと、大勢の人に会うこと。それに、明るくなれるような人と、友達になることですね。それからもう一つ。過ぎたるは、及ばざるがごとしで、何事も、やりすぎてはいけない。
―― ところで、瀧本会長は、ユニ一クな景気回復論を提唱してますね。
[瀧本] 経済っていうのは、生産と消費のバランスが大切ですが、今の日本は消費が足りなくて困って、いる。消費を増やすために、減税をと言われてますが、経済構造を考えれば、いくら減税をしても、簡単に消費が伸びるとは思えません。
―― といいますと?
[瀧本] 現在の日本は、経済のサービス化が目ざましい勢いで進んでいます。サービスっていう商品は、時間節約型の代行業もありますが、一方で、時間がなくては全く使えない商品も多い。特に、今後の伸びが期待できるレジャー、趣味関連の市場はそうです。たとえば、美容院で、2倍のお金を払うから、自分がいない間に済ませるというわけにはいかない。旅行でもそうです。本人に時間がなくては、どうにもならない。つまり、所得が増えるだけでは、サービスの消費はできないんですよ。「有効需要を増やすためには、可処分所得を上げろ」なんて、よく言われますが、僕は、そうではなくて「可処分時問」を増やせっていっているんですよ。
―― なるほど。
[瀧本] 豊かさの三点セットは、買う商品が豊富にあって、買うお金が豊富にあって、それを楽しむ時間が豊富にあること。日本では、なんとか、最初の二つまで揃えた。ところが、最後の一つが揃ってないから、あんなにお金があったバブルの時でも、ゆとりが感じられなかった。そろそろ最後の一つを増やす努力が、必要なのですよ。
―― たとえば?
[瀧本] 法律で、休日の他に2週間休まなくてはいけないといった共通ルールを作ってしまうことです。各会社の自主性に任せては、互いに取引先に気兼ねして、いつまでたっても進展しませんからね。法律で決まってしまえば、みな、しぶしぶ休むでしょう(笑)。しかも今では、通信が発達しているため、緊急の場合は、携帯電話やEメールで連絡がつく。休める環境は整っているはずです。
―― そのくらいの発想が必要なのですね。
[瀧本] 僕の計算だと、9ヶ月働いて、3ヶ月休むぐらいが丁度いいと思いますよ。今の日本は、モノを作りすぎているため、それを国内で消費できず、輸出と公共投資に回している。そのため、貿易収支は大幅な黒字で、貿易摩擦が絶えないし、財政は実質的に破綻状態です。それでいて、私たちは、いつまでたっても豊かさを感じることができない。
―― 悪循環ですね。
[瀧本] ですから、景気回復には、休暇をと叫び続けているんですよ。余暇が増えれば、サービスを受ける時間が生まれ、既存のサービス業が成長するのと同時に、余暇を対象とした新しいサービス業も必ず誕生するはずです。そうなれば、旅行者も増え、うちも儲かるしね(笑)。
月刊MOKU 1998年4月号掲載
「バーゲンファックス」を武器に、乱戦の格安旅行業界に旋風を巻き起こしているエアーリンク。オーナーの瀧本会長は、コンピューターと通信をフル活用したビジネス展開を掲げる新進気鋭の経営者と思いきや、そのココロは「商人道」。
■ 超格安の旅行情報を提供する
「バーゲンファックス」というサービスをすでにご利用になった方も多いに違いない。これは、例えば「ハワイ6日間4万9千8百円」)とか「シンガポール2泊4日間4万9千8百円」とか、あるいは「新宿にある一流ホテルに二人で1泊1万3000円」という超格安の情報を会員向けにファックスで発信しているもので、1993年に始めて、わずか4年で会員数が3万5千人を突破した。
この発端は、たまたま出発を間近に控えた沖縄ツア-に大量のキャンセルが発生し、「値段を思いきり下げるから短期間に売りさばいてくれ」と頼まれたことだった。そこで思いついたのが、即座に情報を送れるファクシミリを活用することだった。これが大変な反響で、会員は急速に拡大し、最近の入会者はほとんどがファックスによるバーゲン情報を期待しての入会である。
発信する情報は、国内旅行、海外旅行で、それぞれにパッケージツアー、格安航空券、ホテルの大幅割引料金があり、最近では旅行商品だけではなく、希望者には自動車やパソコン、日用品などの情報も発信している。「バーゲンフアックス」の名の通り、とことん「より安く」を追求しており、もともと他社に比べて割安感の強い当杜の「通常価格」よりもさらに15パーセント以上安い。中には40~50パーセント引きというのもある。
こうした「超格安」の商品提供をサービスとして確立できた背景には、航空機の座席は、生鮮食料品と同じように、その日に利用してもらえないと翌日に積み残しができない商品だということ。だから航空会杜は出発直前に空席がたくさんあれば、値段を下げてでも販売し、現金収入を増やそうとする。しかもジャンボジェット機が登場してからは大量の座席供給が進み、格安航空券が当たり前になってくると、もはや関係者の口コミでは対応しきれない。どうしても「マス」を対象としたセールスが必要になってくるが、航空会社やホテル、大手旅行会社ではマスメディアを通しての激安商品の販売には抵抗がある。
その点、あくまで旅行愛好家の会員組織のメンバーに対する「特別割引サービス」なら大義名分も立ちやすく、そこに会員制の当社がバーゲンフアックスで激安商品を提供できる背景が生まれてくるのである。
■ 現代の変革は「読み書き算盤」の変化だ
商いの道は、顧客の要望にどこまで応えられるかということが基本であることはよく知られていることだが、顧客の要望、要するにニーズの変化をどう読むか。それには時代の変化を読み取み取ることが重要になる。
いまは大変革の時代だといわれているが、私は「読み書き算盤が変わった」と考えている。
これは、要するに、いったいこの大変化をなにがもたらしたのかということだ。もちろん要因はいろいろあるだろうが、その主たる要因はなにか――それを見極めるのに一番苦労するわけだが――例えば勢いのよかったころのアジアが、日本の60分の1とか100分の1といった賃金で生産するシステム、工場を持っていたということ。それを可能にしたのがコンピューターだった。またビッグバンにしても、それを可能にするものは、コンビューターと通信というインフラだと私はみている。
コンピューターは昔は電子計算機と呼ばれていた。香港では「電脳」と訳していて、その是非を云々する声が日本にもあるが、通信というコンセプトはわかりにくいかもしれない。それで私は「読み書き算盤」といっている。
「読み書き」の『読む」とは、人が考えたことを自分が理解する能力である。いまであろうと昔であろうと、日本であろうと世界であろうと、時間軸・空間軸を超えて、その人たちが考えたことを理解できるかどうか。
「書く」というのはその逆で、自分で考えたことを世界の入たちに知らせる能力だ。インターネットはまさにその典型で、大変な変革の起爆剤になるだろうと考えている。「算盤」というのは、数えるというか、読んだり書いたりしたものを「量」で計らなければならない。「質」を量的に計らなければならないということ。
「読み書き」は文化の話で、「算盤」は商売の世界。商売とか事業はお金で計らなければならない人間の行動であり、その共通の尺度がいわば『お金」である。お金は「量」の象徴であり、だれの手元にあっても1万円は千円札の10枚分ということに違いはない。ところが、やっばり人間だから、有利に使う人とそうでない人がいて、一人ひとり違う。波でいえば、大きな波が来たときにうまく乗れる人間と、乗れない人間がいる。
私は経営はサーフライダーとそっくりだと思う。ボードを持って、どの波に乗ろうかとみている。「あっ、もっと奥に、もっといい波が来るんだ」と見抜けるかどうか、それで決まる。波が来てボードで乗り出してしまえば、後はバランス感覚だ。
読み書き算盤が変わるということはどういうことか。コンピューターと通信の起源というのは、数千年前の文字の発明、それからグーテンベルクによる数百年前の印刷機の発明があって、産業革命も資本主義も始まったわけであろうが、いまの社会は基本的にそれで築かれている。
コンピューターと通信が、文字を発明したことと印刷機を発明したことのような大きなインパクトが両方一遍に来ているのだと考えると、これはなにかすごいものになりそうだなという予感がする。
かといって私はインターネットで商売はまだやっていない。いまのところは商売にならないと感じている。ジャーナリストやエンジニアの世界なら、まずあてがわれる予算があって、その中で足りるか足りないかという世界であろうが、商人は結果だ。最終的な帳尻を合わせなきやいけない。
人間は、時代時代で価値だとか値打ちはしょっちゅう変わるが、おそらく最後まで変わらないのは、自分をわかってくれる人が一番大事なのだということではないか。そして、いろんな時代でいろんな環境があったけれども、どの時代においても、その当時たくさんあるものはふんだんに使うという価値観、それから足りないものは大切に使おうという価値観、これは変わってないんだということ。その時代時代でなにが余っていたか、なにが足りなかったかは変わっている。これからなにが起こるのかということは、まあ私自身一所懸命考えている。人より早くわかって人より早く手を打つ、これが事業成功の秘訣であり、一番大事なことは、それが間違ってないということ。往々にして間違えて過剰投資するケースがある。
■ 団塊の世代がイブニング産業の中心に
私はいま、「人生のイブニング産業」をつくりたいと考えている。要するに、イブニング・ドレス、日本では夜会服と呼んているが、あのコンセプトは日本にはなかったものだ。これは多分にヨーロッパの文化に起因する。イギリスは緯度でいえばカムチャッカ半島ぐらいだから、夏の日の長さと夜の短さの関係でだいたい、昔の働く習慣というのは、朝はもう六時とか日の出とともに働き始めて、8時間労働をして、2時には終わる。だから日が沈むまで非常に時間がある。そこで、仲間が集まってみんなでいろんな話をしようじやないか、と。まあ集まって話をするんだからなにか一杯飲もうとかいう習慣ができたわけである。それが日本に入ってきて、華族の間で夜会が一世を風靡した。
昔、サンリオがキティちやん人形を非常に当てて、まったく新しいニーズを発掘したが、そのマーケットをだいたいカバーしてからは、もう急成長はないといわれた。そこで次の成長をはかるために、さらに新しい市場を発見してやろうということになった。で、お金もあったのだろうが、「貴族研究会」というのをつくった。つまりどの時代にもどんどん消費をしていた人たちがいる。そういう人たちは生産をほとんどしなかった。そういう人たちが一般的に貴族だとか華族だとか呼ばれたわけだが、貴族というのはなにを、どんなことをしていたのかということを調べ始めた。その結果、ただ一つ共通点がわかったという。それは必ずみんなが集まってなにか物を食べて喋る、そういう場があるのだということ。その場がだんだん洗練された社会と、この洗練度があまり発達しなかった社会との差があったと、著名なコンサルタントの飛岡健氏が話しているのを私は彼の講演で聴いた。私は「ああ、これだ」と思った。
私は1日の24時間を、人生の流れの中に当てはめて、人生のイブニング期間に入った人たちを対象にしたビジネスを考えている。
私は昭和21年の3月生まれで、団塊の世代の直前である。そこのとこだけ人口がポンと一回減っている。団塊の世代が始まる昭和22年生まれの人は今年51歳で、団塊の世代が一斉に50代に入る。世の中こんなに不確実で大激動だが、100パーセント確実なのは、今年51の客は来年52になるということ。やっぱりそういうことを一つひとつ確実に押さえていって、このへんでなにが起こるのかを考える。そうすると、団塊の世代というのは、まず日本の現在の報酬体系では、その人の人生の中では一番高い世代だということ。53、54がピークだとすれば、そういうピークに入ってくる。
それから、入ってくる収入と支出との関係でどのぐらいの可処分所得があるかを考えてみると、子供の教育もそろそろ終わり、いつ家を買ったかにもよるが、平均的にはローンもだいたい終わる。そうすると、国際比較でいっても最も豊かな可処分所得のある入たちだということである。
それから、50歳ということは、人生を1日にたとえるとおそらく午後3時か4時ぐらいに当たるだろう。とすれば後2時間ぐらいで一応決まったワン・サイクルは終わる。60歳て還暦となるが、いま、還暦が一つの収入体系の終わりとだんだん一致しつつあり、まさに還暦から次の新しい人生が始まるわけで、日本の平均寿命は世界で一番長いから、いわば長いイブニング期間が始まることになる。お金もある、楽しみたいという欲求もあるが、商品がない。だから顧客がいて――つまりお金を持っている客がいっぱいいて買おうと思っているのに買うものがないという状態だ。これは事業家、商人として最高のマーケットだ。
こういう社会になることは確実に始まっており、そこにはビジネス・チャンスがいくらでもあるぞと社員にはいっている。
そういう団塊の世代らの可処分所得が多くなった世代に売れるものは、旅行に限らずなんでもご提供しましょう、なんでも売りましょうと。それが、シナジー効果を生むような構造をつくりながら、基本的にはなんでもやろうと考えているのである。
■ 不況期に生まれた業態変革に学べ
いま、流通の第三の大革命が起きているわけであるが、大きく分けると三つのフェーズに分けられるだろう。これはコンドラチェフの波といわれるものであるが、好況と不況は60年周期で繰り返されるというものだ。1870年ごろの不況期がフェーズ1で、1930年ごろの不況期がフェーズ2、1990年からの不況期がフェーズ3に当たる。
商行為というのは昔からあるわけで、1870年に産業、インダストリーと呼ばれるような商業が初めて発生した。その象徴が百貨店(デパート)の誕生だ。世界で初めてのデパートは、パリで誕生したグランド・マガザンである。日本のデパートは1895年ぐらいだったと思うが、日本橋に三越ができている。日清戦争が終わり、賠償金によって日本経済が一気に活性化した。
1930年のフェーズ?というのは、チェーンストアの出現だ。これはアメリカの東海岸に誕生したのが最初だった。
そもそも大不況というのは、別のいい方をすれば、商品が売れない、売りにくいという時代だ。だから景気が悪い、景気が悪いから売れないという。売れないなら売り方を変えようというのが業態の革新だ。業種というのは常にあり、伝統的な売り方が改善されながら発展してくるわけであるが、それがピークに達すると、もうどうやっても売れなくなってくる。そこで、売る商品ではなくて、売り方を変えようという発想が生まれてくる。そこでデパートという業態が登場したのがフェーズ?である。同じように、フェーズ?でチェーンストアという業態が誕生した。
もう一つ、フェーズ1は鉄道の時代でもある。この時代は鉄道がどんどん敷設されるわけであるが、鉄道を敷くということは、その地域の物流が一変するということ。徒歩や馬ではせいぜい半径10キロか15キロが消費経済圏にすぎないが、鉄道の敷設によって、消費経済圏は一気に広がる。フェーズ2では、モータリゼーションが登場する。モータリゼーションにより、ニューヨークでいえばマンハッタンのアパートに住んでいた入たちが一斉に郊外に家を持つようになった。
フェーズ3においてはなにが起こっているかといえば、情報ハイウェイ構想である。これが日本でも完成すると、太平洋を隔てた日本とカリフォルニアがぴたりとくっついた形になる。
かつては、太平洋を渡るのに1ヵ月もかかった時代があったが、いまや飛行機で10時間ぐらい。これが情報ハイウェイの実現により瞬時にコミュニケーシヨンが取れるようになった。
そういう時代にもかかわらず、アメリカ経済が非常に好調で日本は不況に苦しんでいる。
その差はどこから生まれてきたかといえば、金融財政のやり方にプロとアマの差があったということ。そして、プロとアマの差は紙一重だけれども、アメリカのレベルが高くて先にやったということだろう。アメリカに先んじられてしまったわけだが、大した差ではない。十分挽回可能な差だ。
■ これからは売り手が買い手に近づく時代
会員制というのは、取りあえずの名称であって、別に新しいものではない。本質的にいえば、商人にとっては顧客がすべてである。いかにいい顧客をたくさん抱えるかということが商人の最大のポイントである。
そうすると、顧客というのは大きく分けると二種類ある。それは一見の客と何回も使ってくれる客。本当に商人でうまいのは、一見の客は相手にしないという。一見客を入れるときは、非常にバーを高くし、その分馴染み客の満足度を上げる。会員制というのは馴染み客をつくる一つの方法であって、コンピューターと通信が普及したから可能になったテクニックである。
いままでのエリア・マーケティングでいけば、いい商品があっても、その商品を店に置いてもらうためには、最低でも月に何個売らなければならないという採算ラインの問題があった。たまにしか売れないような商品では店に飾ってもくれない。採算点をたとえば月に10個とすると、顧客がたくさん来なければならない。顧客を倍にすると売れる商品の範囲を増やせるということになる。
その極致が百貨店である。商品をたくさん置いて、商品の相乗効果で顧客を増やすというやり方。また、最初はコーヒーを買いにきたのに、別なものを買う。コーヒーを買いにきた客にコーヒーを売っているだけでは儲からないが、別なものも買わせることで、その分が利益になる。そうするためには商品の種類を増やさなければいけない。それには平面では駄目で、立体になる。これは、工業の第一期商品で、1870年代にはおおむね完成した。
ところが、日本でも戦後にチェーンストアが登場したが、アメリカでは1930年ごろであった。日本では戦後の1955、6年ごろ、ダイエーやイトーヨーカ堂といったチェーンストアが登場する。あれは核家族化ということで、顧客がデパートに行くのに時間がかかり過ぎるということから、商人のほうが途中まで顧客に近づいていこうとした。山手線とか山手通りとか神田の通りに店舗をたくさんつくってチェーン展開するようになった。そのためには、食料品などの売れる頻度の高い売れ筋の商品を揃えるため、冷蔵庫、冷蔵ショーケースが大量に必要になり、そうなると企業管理が必要になる。それが工業の第二期である。
では、第三期はなにかといえば、私はやはりコンピューターだと思う。工業社会が作った最高の商品は最後はコンピューターで、それに通信がつながったことだ。
ものを売るというのは、要するに売り手の中にある商品と、買い手の手の中にあるお金をどこで交換するのかということ。買い手がこっちのほうに来て交換するのか、売り手が買い手のほうに近づいて交換するのか。
フェーズ1、フェーズ2は、実は圧倒的に買い手を売り手のほうに集めようという原理であった。特にデパートがその典型だ。なにゆえにたくさんの買い手が集まるかといえば、そこに大量の商品があって、欲しいけれども買えない、でもみているだけで楽しい、そういう状況をデパートは演出したのである。
ところが、フェーズ3になると、本質的な違いがある。これは売り手が買い手に近づくことが主流になるということだ。フェーズ1は売り手が動かなくて、そこでどんどん自己増殖して大きくなって、増殖するからますます買い手を集めることができた。フェーズ2は核家族化で生活の仕方が変わってきて、そこそこ妥協をして、双方から近づいていった。フェーズ3は売り手のほうが買い手に近づいていく時代だということだ。
いかにして近づくか。その典型が通信販売である。
■ 今後の日米関係は困難な時代を迎える
ところで、いま、アメリカ経済は非常に好調のようであるが、アメリカがうまくいって日本がうまくいっていない要因は、やはり金融財政のやり方にプロとアマの差があったことは前述した。
最近読んだ著名な評論家の著作でも、あれだけの人が日米という枠組みでしか物事を考えていないのかと唖然としたものである。われわれがアメリカン・スタンダードと呼んでいるものは、そのオリジンはアングロサクソンで、アングロサクソンが取り入れたスタンダードというのは、ユダヤのスタンダードであった。
だから、あまり日米とか、つまらないナショナリズムを書き立てるようなコメントはしないほうがいいと私は思っている。
日米の関係は、これから難しいと思う。一番のポイントは、金勘定で済まなくなるということ。金勘定で済むうちは、量の世界だから共通の尺度があるから、難しくはない。ところが、質の世界になった瞬間に、コミュニケーションが成り立たなくなる。尺度が違うからだ。こちらが鯨尺出して、相手がメジャーを出してきて、どうだといっているのと同じことになる。そこでコミュニケーションが引っかかってしまうから難しくなるだろうと思われる。
そういう時代に必要なことは、グローバルに物事がみられれば、つまらないコンプレックスも恥も必要ないということだ。
そういうと、日本人はもっと国際性をもたなければいけない、そのためには世界をみて回れとかいうことをいい出す人もいるが、世界をみて回ったぐらいで広い視野を得られるぐらいなら世の中の問題は簡単に解決するだろう。
第二次世界大戦の前は、海外旅行に行った人たちの多くがあの大東亜戦争をやろうと思ったと聞く。なぜか。当時は日本人もアメリカに行くとモンゴル人とみられたのである。また東南アジアに行けば、ヨーロッパ系でない人間は、仮に一方の親がヨーロッパ人でも、混血はアジア人と見なされて一段と低い存在と見なされた。
あの武者小路実篤が、多感なときにドイツ哲学とかいろいろ勉強してユニバーサルな考えで洋行したと思われるが、彼がアメリカに行って「俺はもう腹に据えかねた」といっている。
日本人は島国だからといういい方で卑下するケースがあるが、私からすれば、島国というのはいろいろ変化があっても最低限のルールが守られる環境だとみている。なにもコンプレックスを持つこともないし、恥じることではない。もっと自信を持ってこれからの大変革の時代に敢然と立ち向かっていくべきだと私は思っている。
最後に、私がイトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏より教わった昔の伝承による商人道を紹介しておこう。
『商人の道』
農民は連帯感にきる
商人は孤独を生甲斐にしなければならぬ
総べては競争者である
農民は安定を求める
商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ
農民は安全を欲する
商人は冒険を望まねばならぬ
絶えず危険な世界を求めそこに
飛込まぬ商人は利子生活者であり
隠居であるにすぎぬ
農民は土着を喜ぶ
大地に根を深くおろそうとする
商人は何処からでも養分を吸いあげられる
浮草でなければならぬ
其の故郷は住む所すべてである
自分の墓所はこの全世界である
先祖伝来の土地などと云う商人は
一刻も早く算盤を捨てて鍬を取るべきである
石橋をたたいて歩いてはならぬ
人の作った道を用心して通るのは
女子供と老人の仕事である
我が歩む処そのものが道である
他人の道は自分の道でないと云う事が
商人の道である